そして、近田未来は

近田未来くんは、やっぱこのままではぼくはあれだわ。とゆう気持ちが
常時、50パー。
この、なんかやりにくい感は、
今となっては彼の一部でありました。
でも、やっぱこのままではぼくはあれだわ。
に関して、それを言葉にしてうまく人に伝える術を
彼はまだ知らない。誰に、なんて話せばいいんだ。
それはわたしも知らんのだよ。
だからこれはもうこんなもんなんでしょう
と思う練習は、彼の日課でした。


考えが過ぎて間違うパターンに負けるな未来は軽率であれ
(脇)





イチローの映像が、こんな生き方は恥ずかしいと思われて、
見づらいということ


どんなに派手なテロが起きても心動かされなくて、
居場所がないということ


人の手伝いをしたいがその元気がなくて、
存在しているのがもうめんどくせえということ


そういったことが近田未来をげんなりさせて、
死ぬのが明解、死ぬのが明るいんだと
近田に思わせたけれど、


黒澤映画「生きる」を二度見てみたところ、
人はキショいくらいのとき、
周りに嫌がられ避けられるようなとき、
見るからに具合悪そうでどこかもうおかしいんだろうなあという風貌のとき、
何かを成す、
場合が多々あるだろうと。
本当にそれはそうなんだと。
不気味でとても見れたものではないくらいになっているときに
何かを成す
のだと。だいたい今まで何か成したやつはみんなそうだ。
賢ちゃんもグルグルもそうだった。ジャストそうだった。


そういうことも近田未来には分かりました。
だから、気持ち悪いくらいに生きて、
意地を見せたい気持ちもあったんです。
最近の男の子にしてはそういう
根性みたいなものも持っていたわけ近田は。


んだから、近田の心は、どうしようか決めかねるのさ。
当然、決めかねるのさ。
めんどくせえ ⇔ 意地見せてえ
の間をめまぐるしく思いが行きかうわけさ。


それとは別に、
近田はなんだかんだ美人だから、
私はもう少し近田を見続けたいと思います。


イチローがなにか気づいて少しでもましになるまで近田待ってる
(柴)