キャ〜キョでお話、あとオプションで短歌


希有な千手観音というのがいて、
ちょっと小高いところにおあせあそばしになられるから
気圧の影響を受けたのかもしれない、


手という手がいろいろ
かゆかったり痛かったり、
あと何本もの腕のというか
ワキの脱毛の件が気になってしかたなかったり、


千手観音らしからぬ
身体的悩みの多い観音様で、


人々はみんなその千手さんを
とてもほっておけなかった。


手が、手がいっつも
大変そうだから、


お堂には脚立が常備されていて、


皮膚科医が来て同行の看護士に軟膏を塗らせたり、
気功師の人がきてコォォと手をかざして行ったり、
資格持ちの人がレーザー脱毛をバチッバチッとやって行ったり


そういうことをするのの足場に脚立を使いました。
脚立には「キャダッ」と書かれた紙が貼ってあります。
希有な観音さまがおあしあそばす土地ですから、
脚立のことは「キャダッ」と言うのです。


あんまり千手さまの手という手が
おつらそうな時は、


手荒いようだが千手さまを気絶させてみればいいんでないのという案も出て、


「ほら定規とかさ、定規とか!」
と定規を持ってきて千手さまの急所を突けと
騒がしい口だけのもう若くない男がいたんだが、
なぜ自分で定規を持ってこない。


千手さんは教養のあるなしで
自分の元に来てくれる庶民たちを
差別してご利益与えたり与えなかったりということは
しなかったけれど、


人間的な感覚の千手さんでおあせあそばしになるから、
定規、定規、と小うるさいもう若くない男は
やだなあと
庶民たちと同じ目線で人を見ることのできる、


親しみやすい、希有な千手観音さまであった。


☆ 手がかゆい千手観音がいました ひまな私が処置しに行こう ☆


(柴)



頭のいい犬でした。
自分の、自由のために、自由であるために、
脳みそを駆使して飼い主と付き合ってゆくことのできるクマでした。
クマという名の犬でした。
人間のために開発された脚立や手すりをうまく使いこなす。クマは犬なのに。
テレビに映る気圧配置も、各生物の急所も、時間の感覚も知っていたような
気がします。
クマは教養のある希有な雑種でした。


当時の田舎では犬らは放し飼いになっていて
首輪の付いた犬がそこらを駆け回っていました。
犬は学校まで付いてきたり、思い思いにふらついているものでした。
犬嫌いの人はたまったもんじゃないので、一生懸命にただ逃げました。
でも無理な人はほんと無理だから、それはほんとしょうがないことだから、
苦情の電話が行き交うこともあるのでした。そりゃね。
それで犬のクマの飼い主はお客さまサービスセンターみたいに
クレームを1件1件処理する。


クマは首輪に紐を装着されましたが
何回も何回も首輪から首を引っこ抜いて逃げまわりました。
自由のために。
とは言えクマの家はお客さまサービスセンターでありますので、
時間になるとちゃんとセンターに戻り、ご飯を食べ睡眠をとるのでした。
家だから。
クマに装着される紐や首輪は、日に日に太く頑丈になってゆきました。
それでも、気がづくと庭の紐の先端には首輪だけしかくっ付いていませんでした。


ある日お客さまサービスセンターの電話線がパンクしました。
飼い主はクマがなにをしでかしているのかわからないまま
クマを本当に自由にすることにしました。
クマはたったひとりで自由になりました。
ひとりになったクマは、ひとりの世界には自由とゆう言葉はないんじゃないかと
思いました。
ひとりの世界にあるものを探してみましたが
特別なにも思いつきませんでした。
クマは犬なのであまり言葉を知りませんでした。
でも知らなくても問題はありませんでした。
クマはクマという名前の犬だし。


*謝りたい人に謝らないように精神力を強くしておく
(脇)